実はうちの息子天才です。
絵本に載ってる電車は全部名前を言えるし、プラレールのカタログに載っている全国の電車の名前も大抵言えるようになってしまいました。
特に大人が教え込んだわけでもなく、ちょろっと名前を口に出した程度ですが、本当にあっという間に覚えてしまいます。
きっとうちの息子は将来ノーベル賞を取るようなエラい学者さんになるに違いない。
いや、公園に行ってうちの息子以上に俊敏に動き回っている同年代の子はいないし、公園のベンチに座ってるおじいちゃんからその俊敏さを驚かれるのも息子くらい。きっと将来日本を代表するスーパーアスリートになっているに違いない。
ボールを転がせば、器用に蹴ったりドリブル(みたいな動き)を見せます。実際には蹴ったボールを追いかけているだけ。これはきっと将来日本にワールドカップのトロフィーをもたらしてくれるサッカー選手になってるな。
もうこのまま行くと世界初のオリンピック金メダルを首に下げながら、手にはワールドカップトロフィーを持ち、ノーベル賞の授賞式でスピーチをしていると思います。
…そうですね、親バカです。世界中のパパ・ママが自分の子どもに対して同じことを思ってますね。
なぜ親は自分の子どもをすぐ天才と思ってしまうのか、自分の心に聞いてみました。
(イヤイヤ中の息子、もうすぐ2歳)
大人の自分と比べると
子どもはホントにスポンジのようにものごとを覚えていきます。興味のあること、好きなことになると特に顕著です。
うちの息子は電車大好きですが、気づけば数十種類の電車・新幹線の名前を言えるようになっていました。私は息子が知っている電車の半分以上知りません。
自分は三十を過ぎて、新しいモノを覚えるために記憶の引き出しから何か捨てないと覚えられなくなってしまいました。
そんな大人から見ると、ちょっと見ただけであっという間に覚えていく子ども達の記憶力のスゴさには感嘆の念を抱いてしまいます。
そうした自分とのギャップで子どもを思わず天才と思ってしまいます。
赤ちゃんのイメージが抜けない
ほんのこの前まで、言葉は「あーうー」だったし、移動はハイハイだったし、こちらの言うことを何も理解してなかったはずなのです。ほんとつい最近まで。
実際は1年前にはあんよできるようになったし、言葉を話したり理解できるようになったのもだいぶ昔の話です。
でも大人って1年が3日くらいで終わるくらいの疾走感で時間が経つので、何もできなかった赤ちゃんだった頃がつい昨日のように思えるのです。
その結果、ちょっとしたことが出来ただけで、ついつい大げさに感動してしまうのです。
この曲線が大人まで続くと思っている
ついこの間までできなかったあんなことができるようになった…。「このまま」成長したらエラいことになる…。とついつい思ってしまいます。
「昨日まで言えなかった電車の名前を言えるようになった。このまま成長していったら、世界中の電車の名前を言える日も近い」
「いつの間にか二語文を話すようになってきた。このまま成長すると、いつの間にか英語を話すようになるかも」
「ついこの間までこんなに安定して歩けなかったのに、今はもうコケることなく走ってる。このまま成長すると100メートル9秒を切るスピードになるのでは」
こんな妄想をしては1人ニヤニヤしてしまいます。
こんなこと考えるの私だけかな、と思っていたら妻もニヤニヤしているときがあるので、きっと親はみんなそういうものなんでしょう。
うちの子は違う、という願望
もちろん、自分の子が天才だと思うのは親バカだと自分自身も分かっています。
分かってはいるんですが、その上で「うちの息子は本当に天才なんだ」と思ってしまうものなんです。
どこの親も自分の子どもは特別ですからね。
大人になると、自分にできる限界が分かるようになり、自分に期待することも減ってきます。その反動が子どもに期待する心になっていってるのかもしれません。
さいごに
優秀であってほしいというのは、親なら誰しもが願うこと。その延長線上で、あれもこれもできる大天才であってほしいと思ってしまいますよね。
子どもが色んなことができるように、その度に「うちの子天才かも」と思って楽しむのが、親の醍醐味かもしれません。
「うちの子天才かも」と妄想しているときってとても楽しい時間なんです。今はまだ大人の期待や想いを何も感じていない子どもだからこそ、こっちも思う存分妄想できます。
いや、でもうちの息子は本当に天才かもしれない。