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入院で1ヶ月以上ママなしで2歳児と過ごしてきた感想

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2017年1月31日、妻が切迫早産で(緊急)入院しました。

その後1ヶ月半の間入院となり、そのまま2017年3月17日に無事元気な男の子が産まれました。

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この1ヶ月半の間、私は2歳そこそこだった長男と妻なしで過ごすことになったのです(途中2週間ほど義実家に預かってもらったので、実質は合計1ヶ月)。

私の中ではとても大きな経験となった1ヶ月半、記憶が色褪せないうちにまとめておきます。備忘録のつもりで書いて、書いてるうちに長くなってしまいました。適当に読み飛ばしてください。

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最初は本当に不安だった

妻の入院が聞かされたとき、本当に不安でいっぱいでした。

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その時の経緯としては、まず前日の妊婦健診でお腹の中の子の異常が疑われる事態が発生し、念の為翌日に大学病院で診てもらおうということに。

また、そのときの子宮頸管が26mmと短く、里帰りをするなら一日でも早くということで、大学病院での検査のあと即里帰りという算段をしていました。

結局検査の結果お腹の子に問題はなかったのですが、妻の切迫早産が言われていた以上に逼迫していて(実際は13mmだった)即入院となったのです。

私としてはまさかこんな事態になるとは想像していなかったし、想像しないようにしていました。実際、妊婦健診をしてくれた医師からも「お腹の子の異常はそんなに心配するものではないけど、念の為にね」「切迫早産もすぐに入院ってことはないはず」と言われていて、心配の種を摘んでから里帰りしようという気持ちでした。

それがまさかの事態となり、頭が真っ白になったことを覚えています。妻の切迫早産ももちろん心配でしたが、それ以上に私が置かれた状況を不安に思う気持ちのほうが大きかったです。

ちょうど赤ちゃん返りから立ち直った頃だった

私を不安にさせたのは、妻が入院するちょっと前まで続いていた長男の赤ちゃん返りでした。

赤ちゃん返りが一番酷かったときには、ママへの後追いが復活したかのような妻への執着ぶりでした(そのときに妻が無理をしてしまったことが切迫早産を助長してしまった感は否めません。どうしようもないことですが)。

ようやくその赤ちゃん返りが落ち着いてきて、ほっと胸をなでおろしていた矢先の入院で、「これで息子がまた不安定になったらどうしよう」と恐れていました。

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義母との生活も不安といえば不安だった

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緊急的に上京してもらい、1ヶ月半もの間長男の面倒を見てくれた義母。妻が退院した後も次男のお世話に慣れるまではとしばらくは残ってくれることになったので、まだまだ滞在期間は延びそうです。

義母が居なかったら本当に生活が成り立たなかったので、本当に感謝で頭が上がらないですが、でもその同居に不安がなかったかといえば不安はありました。

言うて元々は他人ですからね。同じ屋根の下でずっと過ごしていく中ではそれなりに気を使うことも多かったです。

ただそこは大人同士なので、長男が不安定になったらどうしよう…の悩みに比べたら小さいものでした。なんとかなるでしょ、と。

そして迎えたママ不在の初日

義母と長男との3人暮らしが始まったその日からびっくりするくらい息子が良い子になりました。

ここでいう「良い子」は「ほどほどに聞き分けが良く、それでいてこちらが心配にならない程度にやんちゃでもある」という状態です。私の中ではそれを息子のゾーンと呼んでいます。

このゾーン状態に入ったことが以前にもありました。断乳のときです。しっかりと言い聞かせをしてカウントダウンのカレンダーも作って臨んだ断乳で、その初日からOPPAIを求めないだけでなく賢者のように聞き分けよく過ごしていました。

そのときと同様、こちらが心配していたような情緒不安定になることは全くなく、それどころかそれまでにないくらい良い子に過ごしてくれました。正直これは驚きでした。

もちろん、それが長男なりに状況を理解し色々我慢をした結果だということも分かっています。まだ2歳の長男に我慢を強いている状況に申し訳ない気持ちもありましたが、それ以上に平静を保っているように見える息子に安堵した気持ちでした。

その後も続いた良い子の長男

結局その後、義母との生活に慣れ日を追うごとに賢者よりもやんちゃ要素が増えていきましたが、最後まで不安定になることなく、それまでと変わらない姿を見せてくれました。

途中で2週間ほど義実家に預かってもらい、完全にパパともママとも離れてしまったこともありましたが、Facetime越しに見る長男に変化は見られませんでした。それどころか広い義実家で、我が家にない遊具もたくさんあるテーマパーク状態で楽しんでいたくらいです。

東京にいるときには毎日妻が入院する病院にお見舞いに行っていましたが、それでママが恋しくなることもなく、いつも別れるときには元気よくバイバイと言っていました。

環境が変わると子どもは成長する

この1ヶ月半の長男の変化で見逃せないのは、明らかに言語能力が成長したということです。

それまでは二語文も話すけど大半は単語で話していました。女の子だと2歳にもなればお喋り女子になっていたりするので、それに比べると遅いなぁと思ってちょっと気にしていました。

それがこの一か月半でグンッと伸び、今や二語文・三語文が当たり前となって、文章で自分の感情を伝えることまでできるようになりました。

また、「プップー」や「ガタンゴトン」で表現していたものをいつの間にか「くるま」「でんしゃ」と言うようになっていました。

おそらくそれまでは私と妻で単語でもだいたいのニュアンスを感じ取っていたのに、それでは義母に伝わらないことが分かり、それをきっかけに言葉が増えたものと思われます。

あと面白いのは、義母の言葉ばかり真似ようとすることです。私や妻が色々と仕込もうとしても、長男自身が興味あることしか覚えてこなかったのに、義母の場合には義母が話す何気ない言葉も色々覚えていきます。きっと義母そのものが息子の興味の対象だったんでしょう。

色んな人と関わることってこのぐらいの子にはとても大切なことなんだと実感しました。

パパとの絆が深まった1ヶ月半

この1ヶ月半の私個人の感想は、大好きなママがいない状況で長男がいつもと変わらない様子で過ごしてくれたことに安堵しただけでなく、私との絆が確実に深くなったことがとても嬉しかったです。

育児ブログを書いてる身としては恥ずかしい限りですが、これまでは妻なしでは長男の日々は成り立ちませんでした。

夜の寝かしつけも妻に頼りっきりで、私が寝かしつけたのはほんの数回だけだったし、夜に何かの拍子に長男が目を覚ましたときには妻の顔を見ないと不安で寝てくれない状況でした。

それが夜寝るときには私にぴったりくっ付いて寝るようになってくれたし、目が覚めそうなときも私がそっと彼の胸に手を添えれば安心して寝てくれるようになりました。

それまで私はいてもいなくても(ママさえいれば)良かった存在でしたが、この1ヶ月半でとても大事な人に昇格した実感があります。

実際のところは、義母が妻の役割をぴったり担ってくれ、義母が妻の代わりになってくれたおかげで我が家が回りました。私自身は残業して帰る日も多かったし、私の見かけの日常はそれまでとほとんど変わっていません。

それでも休みの日はこれまで以上に長男くんに満足してもらおうと張り切ったし、いつもと同じ散歩コースでも長男くんが「私と散歩ができてとても嬉しい」というオーラを出して散歩してくれて私も楽しくなってしまいました。

この1ヶ月半、長男くんが私を頼ってくれて、まんざらでもない気持ちになった私でした。子どもに好かれるって大人のそれとは違う喜びがあるものです。

それでも不安で寂しかったみたい

ゾーン状態の賢者状態だった長男でしたが、本当のところは不安で寂しかったはずです。

義母との3人暮らしが始まった最初の頃は義母とのお風呂をことごとく嫌がっていたし、しばらくはお昼寝をほとんどしてくれませんでした(普段は2時間くらい昼寝をする)。お昼寝をしても30分くらいで起きてしまうという状況です。

また、最後の2週間の口癖は「ままびょういん、ぱぱおしごと」でした。口ぶりに悲壮感はありませんでしたが、でも心に思うことはたくさんあって、それを必死に2歳児なりに考えて言葉にしたのがこの言葉だったのかなと思います。

無事、妻と赤ちゃんが退院してきて家に戻ってくると、最初は戸惑っていましたが、それでもずっとママのもとを離れませんでした。

良かったね、長男くん。これからもうこんなにママと離ればなれになることはないよ。

幸せな日々が戻ったかと思いきや

妻と赤ちゃんが帰ってきて非常事態も終わり、無事我が家に平穏が訪れたかと思いきや、そんなことはありません。

帝王切開で満足に動けない・体力の戻っていない妻、昼夜問わず3時間に1回は授乳とミルクの必要な新生児(そしてこの子がまぁ飲まない…)、環境の変化に戸惑う長男、1年で一番仕事が忙しい時期に直面する私、というよくもまぁこれだけの悪いカードが揃ったなという状況で、我が家はプチ炎上中です。

詳しくは今後別記事にまとめたいと思いますが、帝王切開ってお腹切る手術してその6日後から「はいどうぞ不眠不休で育児してください」って結構鬼畜ですよね。

おわりに

この1ヶ月半、私も長男も色々とありましたがまとめるととても充実していました。

正直言うとこの日々が終わることに寂しさがあります。それほどまでに父親として楽しかった1ヶ月半でした。それもこれも妻も赤ちゃんも何事もなく無事に退院できたからですが。

長男がこの2歳の1ヶ月半の出来事を今後覚えているかは分かりませんが、私には忘れない濃い日々だったので、反抗期のときとかにこの楽しかった日々を思い出したいと思います。

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